22nd Sousakunchu
あやつりにんぎょう
ゆったりとした音楽が流れる中、白いタイツにシンプルなレオタード姿の少女たちが黙々とストレッチを進めている。少女と女性のちょうど間くらいの、細くまっすぐなようでいて曲線的な手足がぱたりぱたりと伸ばされたり折り曲げられたり。その四肢は持ち主の思うがまま、滑らかに動く。
ぼんやり眺めていたらそのうちのひとり、美咲ちゃんとぱっちり鏡越しに目があって、はっと我に返った。いつの間にか止まっていた手を再び動かし始める。もはや身体が柔らかいわけでもない私は時間をかけてほぐさないと簡単に怪我をしてしまうから、他の子に見とれている暇なんてないのだ。
座り込んで脚を開いたところから、肘をつきつつじんわり体重をかけて身体を前に倒していく。ぴり、とわずかに痛みを訴えた右の内腿には知らんぷりを決め込んだ。そんなのいちいち気にしてたらやっていけないし、もう慣れっこだし。
無機質なレッスンスタジオは二面が鏡張りだから広く見えるだけで、実はたいして広いわけでもない。せいぜいヴァリエーションをぎりぎり一曲踊りきれるくらい。そんな微妙な一室が今の私の居場所だった。
家から三駅のところにあるバレエ教室の、シニアクラス。小学生、中高生、大学生以上しか年齢区分がなくて、しかも大学生以上はレベルも分かれていなくてひと括り。そのおかげで成人してどれほど経ったかも分からない私が大学生の中にひとりだけ混じってしまっているわけだけれども。
そんなに上手いわけでもないのにどうしてこの歳になってもバレエをやってるかって、自分でもよく分からない。小学校高学年になった娘が手がかからなくなってきて、家にいるのも手持ち無沙汰になったときにバレエのことを思い出した、ただそれだけ。
五歳から中二の終わりまで、計九年。幼かった私はそこそこ真剣にバレエを習っていた。週三回のレッスンは休まず、毎日家でもストレッチをして。バレエは好きだし踊るのは楽しかった。でも自分にはそこまでの才能はないことは分かっていたから、高校受験を機にすっぱり辞めてしまった。未練がなかったと言ったら噓になるけど、後悔はしなかった。最後まで大きな役はもらえなかった。
でもいつぞやの昼下がりにテレビで、最近じゃ大人になってからバレエとかジャズを始める人も増えてきている、なんて聞いて、そしたら私がもう一度バレエをやったっていいじゃないって思ったんだ。思い立ったが吉日とばかりに家の近くの教室を探して、いくつか体験にも行って、それでようやくこの教室を見つけた。大人だけの教室も他にあったけど、ここの雰囲気の良さは抜群だった。先生も優しすぎず厳しすぎずで、気楽に、でもそこそこ真面目にやりたい私にぴったりだった。
この教室に入ることを決めてから家族に相談、というか事後報告をしたものだから、旦那にはかなり反対された。その歳で若い子たちに混じるなんて、とか、本当にやっていけるのか、とか。あと口にこそしなかったけれど、今のお前が衣装なんて着れるのかって顔をしていた。まったく耳が痛い。
意外と私の味方をしてくれたのは娘の利香で、ママがやりたいことやればいいじゃん、って。ぴりぴりした食卓にそれだけ投げて、さっさと部屋に引っ込んでしまった。若干反抗期の気がある利香がそう言ってくれたのは嬉しかったし、旦那もそれに押されたのか渋々頷いた。
そうして晴れてバレリーナに舞い戻った私だけれど、いきなり昔通りに踊れるほどバレエは甘くはなかった。筋は固まりきっているし動きは忘れかけているし、何より身体はちっとも思い通りに動いてくれなかった。頭の中で踊っている私と鏡に映る私では天と地ほども差がある。懐かしい感覚だった。違う、そうじゃない、もっと優雅に美しく! そう思ったところで鏡の中の私はやっぱりじたばたもがいているだけだった。嫌というほど身に染みついた劣等感が再び顔を出して、身体がさらに重くなる。
今までの貯金があるからなんとかついていけてはいるけど、ブランクのある三十四歳が大学生たちについていけるかっていったらなかなか厳しいものがある。体力的にもビジュアル的にも。身体はそろそろガタが来る頃だし、メイクだって若いときのままじゃ痛々しいし。レッスンのときも白いタイツにレオタードなんて格好も出来るわけないから、私だけぴったりしたTシャツに黒の厚手のタイツ。
でもみんな私を歳の離れた友達みたいに扱ってくれる。最初は宇津木さんって呼ばれてたけど、気付いたら美奈さんに変わってたのが嬉しかった。居心地は決して悪くなかった。だから今のところここを辞める予定はない。
「おしまい! 水飲んでー」
先生の指示が響く。はい、とばらばらの返事が上がってみんながぱたぱた立ち上がった。壁際に並んで水を飲む少女たちに、少し遅れて私も並ぶ。高い位置でぴっちり結われたシニヨンがいくつも並んでいるのを見るのは、いつまで経っても変な気持ちだった。でも私がこの中に混ざっていることの方がよっぽど不思議で、これには一生かかっても慣れることなどない気がした。